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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)4450号 中間判決

原告(反訴被告) 青木光重 外一名

被告(反訴原告) 高円寺

主文

原告(反訴被告)らと被告(反訴原告)との間の昭和三十年(ワ)第九九四〇号土地所有権移転登記請求、昭和三十一年(ワ)第四四五〇号建物収去土地明渡等反訴請求および原告(反訴被告)青木光重と被告(反訴原告)との間の昭和三十一年(ワ)第四七九号土地所有権移転登記請求、昭和三十一年(ワ)第四四五三号建物収去土地明渡等反訴請求事件はいずれも当裁判所に適法に係属している。

事実

原告(反訴被告、以下単に原告という)両名訴訟代理人は昭和三十二年六月十日附をもつて本件訴訟事件につき口頭弁論期日の指定を求める旨申し立て、その理由として次のとおり述べた。

一、原告青木光重について。

原告青木は昭和三十一年八月二十一日本件訴訟事件の進行中に当裁判所昭和三十年(ワ)第九九四〇号、昭和三十一年(ワ)第四七九号事件につき訴の取下書および昭和三十一年(ワ)第四四五〇号、同年(ワ)第四四五三号事件につき反訴取下に同意する旨の書面を提出したが、右はいずれも左の理由により原告青木の真意に基かない無効なものであり、もしくは有効に取り消されたものである。

(一)  再審事由が存在する。

被告(反訴原告、以下単に被告という)寺の住職である芳賀達宗および檀徒総代大河原幸作は共謀して、昭和三十一年八月十五日頃原告青木に対し、高円寺土地訴訟問題につき高円寺土地買受人組合の幹部である小柳理三郎、滝沢政八らと被告との間において、和解調停の成立またはそのような話合いは勿論、訴の取下、新賃貸借契約の成立やその賃料納入の事実は全くないのに、「高円寺土地訴訟問題は幹部の小柳さん、滝沢さんらと話合いができたし、訴訟取下の準備もできた。小柳さんも滝沢さんも地代まで納入している。貴方も幹部の人達と同じように訴訟を取り下げてくれ」という意味の虚構の事実を告げ、その結果、原告青木をして右組合幹部の小柳、滝沢らが訴訟取下をするのなら自分も取り下げるのがよいと誤信させ、右芳賀達宗の持参した白紙に署名、押印をさせて被告に対する係属中の訴訟を断念させて被告の原告青木に対する土地所有権移転登記義務を免れたものである。したがつて、右芳賀および大河原の行為は刑法第二百四十六条、民事訴訟法第四百二十条第一項第五号に該当する。そして右のような事情の存在は確定判決をも再審によつて取り消し得る以上、前記本訴の取下および反訴取下の同意の無効原因となり得るから、原告青木のなした右取下および同意は無効であり、もしくは右のような事情のもとにおいて後記(三)のような原告青木の取消行為があつた以上、右取下および同意は取り消されたものである。

(二)  民法上の詐欺、要素の錯誤が存在する。

仮りに右(一)の主張が理由がないとしても、前記本訴の取下および反訴取下の同意は右(一)に述べたような芳賀および大河原の詐言により原告青木において錯誤を生じた結果なされた当然無効なものであり、もしくは芳賀および大河原の詐欺によつてなされた取り消し得べきものであるところ、原告青木が昭和三十一年八月二十一日前において後記(三)のように大河原に対し前記取下および同意を取り消す旨の意思表示をしたから、右取下および同意は右取消によりさかのぼつて無効のものとなつたものである。

(三)  本訴取下および反訴取下の同意につきその撤回をした。

仮りに以上の主張が理由がないとしても、原告青木は、芳賀が持参してきた白紙に署名、押印をした直後から本訴の取下書および反訴取下書が昭和三十一年八月二十一日に裁判所に提出されるまでの間に大河原に対し直接面談しあるいは電話による連絡によつて右書類を取り戻そうとした。然るに同人は、欺瞞的言辞をもつて原告青木の右申出に応ぜず、右日時に右書面は原告青木の明白に表示された意思に反したまま裁判所に提出されたのであるから、本訴の取下および反訴取下の同意は無効というべきである。

なお、原告青木の右撤回の意思が、右書面の所持者に現実に伝達されていないとしても、大河原に対して撤回の意思を伝達することができる客観的状態にあつたのであるから、右書面の所持者に対して原告青木の意思が伝達されたものとみなすべきである。

二、原告佐々木秀雄について。

原告佐々木は昭和三十一年八月二十四日本件訴訟事件の進行中に当裁判所昭和三十年(ワ)第九九四〇号事件につき訴の取下書および昭和三十一年(ワ)第四四五〇号事件につき反訴取下に同意する旨の書面を提出したが、右取下および取下の同意は原告佐々木と無関係な第三者である訴外小宇羅竜男によつてなされたもので、原告佐々木は右取下書等が裁判所に提出されてから約一週間後において右の事実を知つたにすぎず、右小宇羅の行為は無権代理による取下であり、かつ右行為は民事訴訟法第四百二十条第一項第三号にも該当し、したがつて右本訴取下および反訴取下の同意は無効である。なお、原告佐々木は右取下について、これを追認したことはない。

三、よつて原告両名につき本件訴訟事件は適法に係属しているので、口頭弁論期日の指定を求めるものである。

右のように述べ、証人松下栄、同小宇羅竜男および原告両名の本人尋問の結果を援用した。

被告訴訟代理人は、原告らの主張に対し次のとおり述べた。

一、原告青木の主張事実中

(一)  について。

仮りに芳賀達宗および大河原幸作に原告青木が主張するような行為があつたとしても、それによつて被告の原告青木に対する土地所有権移転登記義務を免れるものではないから、刑法第二百四十六条の犯罪を構成しないこと明らかである。

また、他人の詐欺行為によつて訴を取り下げた者はいつでも同一訴訟を提起することができるから、民事訴訟法第四百二十条を訴の取下に類推適用することは誤りである。

(二)  について。

原告青木は本訴の取下と反訴取下について同意をする意思でなしたのであつて、この点については何らの錯誤はない。原告青木が主張するような錯誤があつたとしてもそれは単に取下等の動機に関し錯誤があるにすぎないから、無効原因とはならない。

(三)  について。

原告青木が大河原に対し取下を撤回する旨の意思表示をしたときには大河原は取下書を持つていなかつたのであるから、右意思表示は取下の撤回につき効力を発生するに由ない。

なお、原告青木としては、裁判所に出頭して取下書が既に提出されたかどうかを確かめ、もし提出されていないならばこれを撤回する旨の書面を提出することによつてその撤回をなし得たわけであるのに、そのような措置をとらなかつたのは原告青木の過失にほかならず、過失から生ずる結果は原告青木において甘受しなければならないというべきである。

二、原告佐々本の主張事実について。

原告佐々木は本件土地の名義上の所有者にすぎず真の所有者は原告佐々木の姉とその夫小宇羅竜男である。本件訴も同人らにおいて原告佐々木の概括的同意を得て原告佐々木の名義を使用してこれを提起したものであり、取下をなす権限もまた有するから、右小宇羅によつてなされた本件取下は有効である。

右のように述べ、証人大河原幸作の証言を援用した。

理由

一、記録を調査すると、(一)当裁判所に係属進行中の昭和三十年(ワ)第九九四〇号、昭和三十一年(ワ)第四七九号土地所有権移転登記請求事件について被告が取下に同意した旨の被告訴訟代理人弁護士木暮勝利の署名、押印がある原告青木名義の昭和三十一年八月二十一日附訴の取下書が、また昭和三十一年(ワ)第四四五〇号、昭和三十一年(ワ)第四四五三号建物収去土地明渡等反訴請求事件について原告青木が反訴取下に同意した旨の同人の署名、押印がある昭和三十一年八月二十一日附被告の反訴取下書がそれぞれ同日当裁判所によつて受理されていることおよび(二)当裁判所に係属進行中の昭和三十年(ワ)第九九四〇号土地所有権移転登記請求事件について被告が同意した旨の被告訴訟代理人弁護士木暮勝利の署名、押印がある原告佐々木名義の昭和三十一年八月二十四日附訴の取下書が、また昭和三十一年(ワ)第四四五〇号(反訴取下書に第四四五一号とあるのは誤記と認める)建物収去土地明渡等反訴請求事件について原告佐々木が反訴取下に同意した旨同人の署名、押印がある昭和三十一年八月二十四日附被告の反訴取下書がそれぞれ同日当裁判所によつて受理されていることは明らかである。

よつて右各本訴取下および民訴取下の同意の効力について判断する。

二、原告青木のした本訴の取下および反訴の取下の同意について。

(一)  証人松下栄の証言、原告青木の本人尋問の結果を総合すれば、昭和三十一年八月十五、六日頃被告寺の檀徒総代大河原幸作が原告青木を訪ね、原告青木に対し、「被告寺と本件係争土地の買受人との間の紛争は小柳理三郎、滝沢政八というような右買受人らが集つて結成している組合の幹部の人達も了解をしてくれてすでに地代を納めてくれているし組合のほとんどの人が訴訟を取り下げることに話合いがついている、あなた一人が訴訟を取り下げないで頑張つていても意味がないから取下をしてはどうか」との趣旨のことを話したこと、原告青木は、大河原の言うようなことがあるかどうかは知らなかつたけれども、小柳、滝沢らは買受人達の代表者であるのにその人達が被告寺と話合いがついて地代を納めているというのであるならば自分一人で反対していても仕方がないし、争う必要はないと考え、被告に対する訴を取り下げてもよいと思つてそれを承諾し、大河原から渡された白紙に本訴および反訴を取り下げるために使用するものであることを知り乍ら署名、押印のみをしたこと、ところがその直後原告青木は、勝手に訴を取り下げたらしいと苦情を言つている者がいるということをその弟から聞いたので、組合の幹部は訴の取下をしていないらしいと思つたこと、真実は大河原の言うように、小柳、滝沢その他組合のほとんどの人が訴を取り下げたというようなことはなかつたし、地代についても大河原の言うような意味の地代を納めている人はなかつたこと、そこで右原告青木と大河原との間に取下の話合いができてから四、五日経つた八月二十日頃本件係争土地の買受人として利害関係を有する松下栄が原告青木を訪ねて大河原の言うことが事実と相違することを話したところ、原告青木ははじめて事実を確かめ得たこと、そこで原告青木は直ちに大河原に対し電話をかけて取下の書類は裁判所の方に出さないで原告青木に返して欲しいと申し出たことを認めることができる。右認定に反する証人大河原幸作の証言は措信することができない。

なお、大河原幸作は十五名ほどの土地買受人との間に話合いができた旨およびそれらの人々はそのうち二名を除いてすべて本件係争土地に関し被告寺を相手方として訴を提起している人ではないこと、しかしいずれも被告寺と土地の売買契約をした人なのでそれらの人をも含め十五名すなわち大半の人は被告と話合いができたと原告青木に話したのであると証言するが、原告青木の本人尋問の結果によれば、同原告は同人の話をそのように理解してはいなかつたことが明らかであるのみならず、証人松下栄の証言によれば、前記組合をつくつた土地買受人中二十六名が被告に対し訴を提起したが、そのうちいわゆる脱落したのは二名にすぎないことを認めることができる。他に以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

してみると、結局、大河原幸作は事実に反することを原告青木に話し、そのように話をすることによつて本訴の取下および反訴取下の同意をさせようとする意思を有していたのであり、原告青木は右大河原の右行為によつて前記のように錯誤におち入り、その錯誤によつて大河原の要求どおり右取下および取下の同意をする旨の意思を表示し、本訴および反訴取下書作成のための用紙に署名、押印をしたものであると認めざるを得ない。

(二)  ところで、およそ訴の取下は、原告の裁判所に対する自己の請求についての審判を求めることを断念し、審判を求める旨の申立を撤回する重要な訴訟行為であり、これによつて原告の訴ははじめからなかつたことになる。その故に右のような重要な訴訟行為についてはそれが他人の詐欺行為に基くものである場合には取下の効力は発生するに由ないものといわざるを得ない。すなわち、民事訴訟法第四百二十条第一項第五号の法意は訴の取下が他人の詐欺行為に基く場合には類推されるべきものと解するのを相当とする。ただ再審の訴には、詐欺行為につき有罪の確定判決の存在が適法要件とされるが、その理由は再審の訴はすでに確定した判決に対する不服申立の方法であるからであり、訴の取下の効力を争う場合は右とその趣を異にするから、そのような有罪判決が存在することは必要ではないと解すべきである。

(三)なお、訴の取下は裁判所に対してなされるところの訴訟終了という訴訟法的効果のみを目的とする訴訟行為であるから、訴訟手続の安定の要請から、その効果は表示せられた外観によつて確定されるべきであつて、詐欺行為のように外部から容易に知ることのできない行為者の意思のかしを理由としては取下行為の無効ないし取消を主張することはできないとする見解もないではない。然し、その訴訟手続の安定の要請ということも、結局は取下行為者の恣意によつて取下の効果を信じた相手方当事者の訴訟法上の地位を不安ならしめないようとの考慮に基くものと解することができるところ、かかる訴訟法上の要請は、取下行為の無効又は取消の主張については必ず口頭弁論を経由し判決をもつてその主張の当否を判定することにより満足せらるべく、この結論が理論上必然のものである以上、如上見解はこれを採用し得ない。したがつて、本件においては本訴の取下および反訴の取下の同意が大河原幸作の詐欺行為に基くものとして、本訴及び反訴の取下に関する書面が当裁判所に提出されても取下の効力を発生するに由ないと解するのを相当とする。

果して然らば原告青木の主張はその余の点について判断するまでもなく理由がある。

三、原告佐々木のした本訴の取下および反訴の取下の同意について。

証人小宇羅竜男の証言および原告佐々木秀雄の本人尋問の結果を総合すれば、小宇羅竜男(原告佐々木の姉の夫)は昭和三十一年八月十八、九日頃大河原幸作から、「本件訴訟においては原告佐々木の方には勝味がないから、判決があつてからでは結局家屋を立ち退き取りこわすことにするより仕方がないし、また相当数の人がすでに被告との間で妥協した」という趣旨の話を聞いたこと、そこで小宇羅はそのようなことが真実であるかどうかは確めず、その言葉を信用し、同人としては他の人が妥協したのなら、時を逸すると不利になると思い、たまたま泊りがけで同人の家に来ていた原告佐々木の実毋うんと相談をし、実毋うんが持ち合わせていた佐々木の認印を使用して大河原が持参した白紙のままであつだ原稿用紙のようなものに本訴取下書および反訴取下書として作成されることは知り乍ら、右用紙に佐々木秀雄と署名し、その名下に右認印を押して大河原に交付したこと、右署名、押印をするについては、小宇羅および実毋うんは原告佐々木の承諾を受けていなかつたことが認められる。右認定に反する証人大河原幸作の証言は措信することができないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実から判断すれば、前記原告佐々木名義の訴の取下および反訴取下の同意は、原告佐々木の意思に基かないものというのほかはないから、右本訴取下書および反訴取下書が当裁判所に提出されても、取下の効力を生ずるに由ないものといわざるを得ない。

被告は、本件係争土地の真の所有者は原告佐々木の姉およびその夫小宇羅であつて、本件訴も同人らが原告佐々木の概括的同意を得て原告佐々木名義でしたのであるから、右姉および小宇羅は取下をなす権限も有すると主張するところ、原告佐々木の本人尋問の結果によれば、原告佐々木は本件係争土地に居住したことはなく、原告佐々木の姉およびその夫小宇羅が居住していることおよび原告佐々木は係争土地の買受人らで結成されている組合にも加入はしているが、その組合の会合に一度も出席したことはなく、姉か小宇羅が出席し、本件訴訟に関する事項についても同人らに委している事実はこれを認めることができるが、なお同尋問の結果によれば、本件係争土地の買受人は原告佐々木であり、本件訴訟の提起に関する委任状も同人が作成した(署名は同人の姉が代書したが名下の押印は原告佐々木がなしている)ことをも認め得るから、被告の右主張を採用することはできない。

よつて、原告佐々木の主張はその理由がある。

四、右の次第であるから、原告らと被告との間の前記本訴および反訴は取下書の提出によつても終了せず、いまだ適法に当裁判所に係属しているものというべく、これに関する争は独立して裁判をなすに熟するから、民事訴訟法第一八四条を適用して、主文のとおり中間判決をする。

(裁判官 近藤完爾 入山実 秋吉稔弘)

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